環境基礎に恵まれた聖ヶ丘

ぜったいに津波の来ない海抜110m地点
多摩丘陵の丘の上にあり、水害の心配はまったくない(想定外)と言ってよいような場所で、これがまず安心です。

丘陵を削って平地にしたので磐石の地盤
この聖ヶ丘地域はエステート聖ヶ丘-3団地も含め、多摩丘陵の尾根を削って、平らにした上に建設されているので、地盤としては磐石と言えます。大地震がきても液状化など起こす心配がありません。3.11の震災時も震度5を記録しましたが、建物の被害は皆無でした。

飲み水は、巨大な給水タンクと、地下給水所にたっぷり
飲み水は村山浄水場と朝霞浄水場から給水を受けて、近くの一番高いところに設置された2つの巨大な給水タンクに蓄えられます(連光寺配水場)。

この水が、自然水圧によって聖ヶ丘地区だけでなく付近一帯の飲料水をカバーしています。そのため、よくマンションの屋上にあるような給水タンクは、聖ヶ丘のマンションにはありません。

さらに、飲み水については、多摩大学のグランドの地下にこれも巨大な貯水池があり、万一のときには、ここから飲み水が供出されるようになっています。(聖ヶ丘給水所)

このように、聖ヶ丘地区は、標高が高いにも関わらず飲料水の供給にもほとんど不安が無いということが言えます。

 

車と人が分離された遊歩道主体の設計
また、聖ヶ丘地区は遊歩道が整備されていて、車の入ってこない領域が広く確保されています。そのおかげで、こどもたちは自宅から小学校、中学校まで、一度も車に出会うことなく、むろん信号もひとつも無く安全に通うことができます。

この住区設計は、車を利用する人にとっては不便な面もありますが、なにより、こどもやお年寄りにとっては安心できる街です。

多摩ニュータウン開発 第4住区

多摩ニュータウン開発 第4住区
エステート聖ヶ丘-3団地は、多摩ニュータウン開発の中では「第4住区」と呼ばれていました。多摩ニュータウン開発では合計21の住区が設計され、1つの住区には幼稚園、小学校、中学校、商店街、医療機関、郵便局など一通りの生活環境が整っているという構想でした。

聖ヶ丘地区(第4住区)もそのように設計されましたが、紆余曲折があり、保育園と幼稚園の予定地は残念ながら構想どおりにはいきませんでした。ただ、小学校と中学校、商店街、郵便局、コミュニティセンターなどはまさに歩いて5分圏内にあり、生活の便は相当によいと思います。

車と人の分離構想
また、多摩ニュータウンの設計の中心的なものの一つとして、車と人の分離ということがありました。車が通るところと、人が住むところはかなり明確に分けられていて、自宅から小学校、中学校、その他の施設にはいわゆる車道を通らずに行くことができます。現在のように車が普及した時代では、この設計思想は一長一短といったところですが、このように街全体をスクラッチから設計するということは、まさにあの頃しかできなかったことなので、それなりに良いところと、実情にあわないところがでてくるのは、いたしかたないところではあります。

基礎環境に恵まれた聖ヶ丘
上記のように聖ケ丘は、ほぼ完全に人工的に作られた地域です。そのよい面と悪い面があるのは当然ですが、ただ、一般的にみて、生活する上での基礎環境にはかなり恵まれているといっていいと思います。

位置とアクセス
都心へは京王線と小田急線が使えます。永山駅が最寄の駅ですが、徒歩で15分、バスで10分程度のところにあります。徒歩は、尾根を2つ越える感じなので、かなりアップダウンがあり脚力が鍛えられます。疲れたときはバスで。

聖ヶ丘の昔と地名の由来

以前は連光寺村の一部だった

多摩市都市整備部都市計画課が編纂した1988年3月31日発行の「多摩市の町名」の中に、以下のような記述があります。

 

連光寺の小字名

中尾根 2030~2113番地

 連光寺のほぼ中央に位置する尾根であることによると思われる。この尾根によって本村と馬引沢が分かれている。

 現在、聖ヶ丘一丁目~三丁目、一部が連光寺五丁目となっている。

天井返 2114~2161番地 
 大谷戸の奥(南東)の山間で、この谷間から大谷戸川は始まる。延享3年(1746年)の検地帳に「天井返し」の名がある。この天井返は、本来は「天井返り」といって連光寺本村の方から行くと、一番奥(天井)にあたり、そこからまた引き返すということから天井返りといっていたそうである。現在の通称東部団地(昭和37年頃分譲)といわれる区域のほとんどが含まれ、聖ヶ丘三丁目~五丁目、連光寺五丁目となっている

 

 この記述から、現在のエステート聖ヶ丘-3団地の位置は「中尾根」と呼ばれる小字の一部だったことが想定されます。「聖ヶ丘」という地名は多摩ニュータウンの造成が始まってしばらくして、第4住区の造成がまもなく始まりそうな時期、昭和55年11月に設定されました。当時民間の分譲住宅として東部団地がすでに存在したので、それを含めて新しい地名が考えられたようです。

 地名の由来については、「多摩市の町名」に以下のような記述があります。

 ここは、明治天皇が兎狩などを楽しまれた御猟場の一部であり、明治天皇御野点所の碑も多くあり、近くには多摩聖蹟記念館があるなど明治天皇ゆかりの地(「連光寺」参照)であることから、聖蹟の「聖」の字を採って「聖ヶ丘」と命名したものである(乞田川を挟んで桜ヶ丘や聖蹟桜ヶ丘駅があることにもよる)。

聖ヶ丘の町区域設定・変更の経緯
昭和55年11月1日、次の区域をもって聖ヶ丘三丁目を設定する。
 聖ヶ丘三丁目・・・関戸字原地、連光寺字中尾根・字天井返の各一部

昭和58年2月1日、次の区域をもって聖ヶ丘一・二・四丁目を設定し、聖ヶ丘sんち目に変更する。
 聖ヶ丘一丁目・・・連光寺字本村・字大谷戸・字打越・字南田・字諏訪坂・字中尾根の各一部
 聖ヶ丘二丁目・・・連光寺字大谷戸・字諏訪坂・字馬引沢・字中尾根の各一部
 聖ヶ丘三丁目・・・関戸字原地、連光寺字馬引沢・字乗越・字中尾根・字天井返・字船ケ台の各一部
 聖ヶ丘四丁目・・・関戸字原地、連光寺字馬引沢・字乗越・字天井返・字船ケ台の各一部

昭和58年11月1日、次の区域をもって聖ヶ丘g丁目を設定する。
 聖ヶ丘五丁目・・・関戸字原地、連光寺字乗越・字天井返の各一部

 この記録を見ると、聖ヶ丘三丁目が最初に設定されていることがわかります。これは東部団地がすでにあったためですが、東部団地が開発予定地の真ん中辺にあったため、三丁目が最初に設定されることになったようです。ちなみに三丁目一番地は東部団地にあります。

位置とアクセス

位置
地図上では平面的に見えますが、馬引沢の自動車通りとは約30mの高低差があり、聖ヶ丘はその丘の上に位置します。当団地は、聖ヶ丘小学校と聖ヶ丘中学校のちょうど中間点にあり、すぐそばには多摩大学と多摩大学付属中学高等学校があります。

アクセス(最寄りの駅までの行き来)
京王永山駅と小田急永山駅から歩いて15分です。聖ヶ丘団地行きのバス路線があり、それを利用すると10分くらいです。ただ、待ち時間など含めると歩いたほうが早いことも多いです。

ちょっと離れますが、京王線聖蹟桜ヶ丘駅に行くにはバスで約25分程度かかります。